2010年11月9日火曜日

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How Twitter Was Born ~ツイッターはこうして誕生した!~


みなさんツイートしてますか?
しますよね~とゆーかしちゃいますよね~。ぼくもそうです!(@amicus_aganes)
まだはじめたばかり。だけどふと眼にしたツイートが興味のあるものだったりするとさらりとドーパミンがでます・・・でますよね??

でもこのツイッター、ある程度使いこなしてみないとまったくその良さがわからなかったんです。
ツイートは点、それがつながれてはじめて一つの絵になる。この絵を点描している感がいいですね!

この不思議なサービス、いったい誰がどうやって考えたのか、知りたくないですか?
そう思って調べたらちゃんとありました!

今回はそのツイッターがどうやって誕生したのかというお話です!

*   *   *

How Twitter Was Born
@Dom
January 30, 2009

『ツイッターはこうして誕生した!』
2009年1月30日



ツイッターは三年前に誕生した。(訳注:これが書かれた時点が2009年であることに留意)@Jack、@Biz、@Noah、@Crystal、@Jeremy、@Adam、@TonyStubblebine、@Ev、ぼく(@Dom)、@Rabble、@RayReadyRay、@Florian、@TimRoberts、@Blaineがサンフランシスコのサウス・パークにあるOdeo社というポッドキャスティングの会社に勤めているときのことだ。(訳注:ポッドキャスティングは音声ファイルをダウンロードする技術のこと)その頃、会社ではちょうどRuby on Rails1.0に大量のコードを提供して、Odeo Studioというサービスをリリースしたばかりだったんだけど、アップルやその他の大手サービスとの厳しい競争にさらされ始めていたんだ。当然ながら経営陣はこの状況を楽観視なんかしていなくて、ぼくたちは何か新しいサービスを開発しないといけない状態だったんだ。

社運をかけた開発プロジェクトの始まり。それは終日つづくほどなが~いブレインストーミングだった。幾つかのチームに分けられてね。それぞれのチームでベストのアイデアについて考えるんだ。ぼくはラッキーなことに@Jackのグループに振り分けられたんだ。そこで彼は初めてSMS(ショート・メッセンジャー・サービス)を使ったサービスのことについて語ったんだ。自分が今なにをやっているのかをいくつかの小さなグループに同時に伝えるようなサービスをね。その時はたまたまサウス・パークの北側の端にすべり台があるんだけど、みんなでそこにいたんだ。晴れてすごく気持ちのいい日でね、メキシカン・フードを食べてたんだけど、@Jackの話にみんな食べるのをそっちのけで話し出したよ。

@Jackが最初に挙げた使用例はたしか街の中の位置情報に絡んだものだったね。例えば偶然居合わせたディスコで、なんかオモシロいことがおこったらそれを伝えるみたいなね。
「携帯から文字情報を発信すれば瞬時にほかの人たちに伝わるようなサービスがあるとウケると思う」って彼は言ったんだ。
すごくシンプルなアイデアで、とにかく深く考えずに行動すればカタチになる・・・みたいなね。ただ文字を打って送信しちゃえばおわりみたいな。そのころ携帯からの文字入力っていうと数字ボタンをおして順繰りに表示させてってめんどくさいものだったんだよ。スマートフォンなんて持っている人は少なかったからね。でもみんなすぐに”あったらいいね”ってまとまったんだ。

それから数日後に、それぞれのグループのベスト・アイデアの発表があって、幾つかのアイデアがプロトタイプ段階にすすんだ。デモ・プログラムも実装されてね。@Jackのアイデアはべつのと一緒に組み合わされて、状況通知サービスというカタチになったんだけど、デモのなかでも一番の評価を得たよ。バージョン0.1は@Jackと@Bizと@Florianが制作することになった。@Noahがプロジェクト・マネージャーでね。他の社員はこれまでどおりOdeo.comの業務にもどったのさ。新しい企画がこけてもなんとか食いつなげるようにね。@Jackの最初の試作は完全にネット上で完結するものだった。できあがったのは2006年の3月21日だ。
ぼくが最初に送ったメッセージが「oh this is going to be addictive (これはハマりそう!)」だったよ。

プロジェクトのコード名とサービス名を考えるのは苦労した。一番使いこなしてた@Crystalは冗談で”friendstalker!"ってつけるしね。この段階の利用ユーザーは完全に会社の人間とその家族に限定されてたんだ。それから数か月、この企画は超極秘に進められた。now-defunk Dodgeballみたいな競合の企画があるのを知ってたからね。最初のサービス名はFlickrの影響もあって”twttr"になった。そのころのSMSで使える省略形は5文字だったことも理由だね。コード名の省略は10958にしたんだけど、それは後になって覚えやすいように40404に変更された。開発メンバーの一人@Florianはドイツから遠隔で作業に加わっていた。それで解読されるリスクを下げるために長いコード名にする必要があって、どっかのちっちゃなポータルの十桁の電話番号をつかったんだ。このコード名10958のころのユーザーは50人くらいだっと思う。

ぼくはシステム上のすべてのユーザーをフォローしてた。管理ページからはすべてのユーザーの状況がわかるからね。会社の品質管理担当だったから、ユーザーからの意見や問題提起はぼくが担当するべきだみたいな流れになってね。でもこれにはみんなとまどっちゃったんだ。ぼくたちのチームの家族も突然まったく関係ない人からフォローされる事態になってね。そんなこともあってアカウントを非公開設定できるようにしたんだ。@Jackと@Florianがシステムをいじって非公開を選択できるようにしたんだ。それによって管理者は非公開を希望しているのが誰かわかる仕組みになってて、その人はフォローできなくしたんだ。でも本当にプロテクションがかかってるカタチで非公開が設定できるようになったのは少しあとのことだけどね。この非公開を設けた頃にはユーザーは100人くらいになっていた。

サイトのデザイン・コンセプトもユーザー・インターフェースの設計も二転三転したよ。”友達”と”フォローしている”の定義もころころ変わった。その調整のせいでSMSメッセージがドバっと表示されたり一つもなくなったりね。あのころはTwictionary(訳注:短くても効率よくメッセージを伝えるために考案された造語集)なんてのもなかったし。システム上のデータを投稿とかメッセージって呼んでたんだ。使っていた用語の定義がきちんとされてなかったから時にはそれが原因で熱い言いあいがあったね。2006年の春頃までそんな調子だったんだ。

@Evの誕生日に合わせてTwttrベータをオンラインさせた。これでもうすこし人を増やすことができるようになったんだ。でもまだまだ大手サービスの関係者には非公開だった。グーグルとか数社から本当に信用できる人には参加してもらったけどね。あの日の和気あいあいとした雰囲気は忘れないな。これで世界を変えてやるんだってみんな本気だったしね。まだ誰もしらないこのサービスでって!まるで生まれてきたばかりの赤ちゃんが最初の一泣きの前におおきく息を吸い込むような感じだったよ。この日はずっと記憶にのこると思うよ。

その一方でね、このころのOdeo社の経営はひっ迫し始めてた。せっかく開発したtwttrはわかりづらくその価値も判然としなかったし、Odeo社の収益も毎月減っているような状態だったからね。思い切ったリストラがどんどん行われた。2006年5月のことだよ、@Evによってぼくたち@Adam、@TonyStubblebine、ぼく、そして@Rablleの四人がクビになったんだ。@Noahも@TimRobertsもそのあとすぐにクビになった。厳しい措置だったとは思うがぼくたちもショックだったよ。みんなの反応もバラバラだったな。いま思うと、ぼくたちの関係がのこったのもツイッターがあったからだ。なかったらみんなバラバラになってたよ。ツイッターはまだ正式なリリースもされてない状態だったけど、みんなでツイッターを使い続けて少しでもカタチになるものをツイッター上に残そうとしたんだ。

こんな状態でTwttr.comは正式に公開されたんだ。ツイッターのほんとうの価値をわかってたのなんてほとんどいなかったんじゃないかな。その頃はみんなSMSメッセージを一回送信するたびに課金されているような状態でね。ツイッターつかったら課金額が増えるんじゃない?とか、どうやって使うんだ?とか、誰がおれの行動なんて知りたがるんだ?とかそんな反応だった。ぼくたち開発関係者は一人一人がコーチ役になってさ、同僚とか友達に使わせるようにしたんだ。ちょうどそのころ、Obvious社がツイッターの初期投資会社としてできたんだよ、ツイッターのプロジェクトのためだけにね。

@JackはまだOdeo社でエンジニアをしていた。Obvious社がツイッターを買収したのはサービス開始からまだ数か月しかたってないころだった。それから今のツイッターになったんだ。そのころはまだ字数制限もなかったな。SMSは160字まで打ててね、それより長いのはいくつかのメッセージに分けて続けて送信されるような感じだった。不具合はまだまだあるのに、SMSの請求書はどんどん膨れ上がっていく・・・そんな状態だったよ。それで字数制限を設けて一回のメッセージがSMSの上限を超えないようにすることにしたんだ。ユーザー名とかコロンのスペースを考慮して、字数は140字までにしようってことになった。2007年2月、@Jackが書いたメッセージにツイッターに関わる意義をあらためて教えてもらった気がしたな。
そこには「One could change the world with one hundred and forty characters. (ひとりが打つ140文字で世界は変えられる)」ってあったんだ。

SxSW(訳注:ここではITをテーマにした一大カンフェレンスを指す。ミュージックフェスタのことではない)に間に合うように、@RayReadyRayがデザインしたセンスのいいフラッシュ・ベースのツイッター・ビジュアライザ―(表示プログラム)ができあがってね。それがSxSWの会場でディスプレイされたんだ。ぼくはその場にいなかったけど、ビジュアライザ―は何回もチェックしたよ。オースティンの会場でビジュアライザ―が稼働しているとき、ぼくはサンフランシスコのオフィスにいた。直前になってプログラムのバグを一つ見つけてさ。@Bizと@Jeremyが電話している最中のことだったよ。SxSWの会場ではセッションが終わるころになるとみんなが会場から出てそのビジュアライザーにどんなコメントがのってるのか見ることになってたから焦ったよ。その時はほんと奇跡的。直前にすべてうまく収まったんだ。

ツイッターのブレイクに貢献したイベント:

  • 最初のイベント:ブログ部門で一位に選ばれたこと。そのとき@Jackはもちろんツイッターでみんなにお礼を言ったよ。
  • 二番目のイベント:MTVミュージック・アワード(訳注:みんながツイッターで会場の様子を書き込んだため)
  • 三番目のイベント:アップル社のアプリ開発者向けカンフェレンス(World Wide Developers Conference 2007), テレビで取り上げられたこと、そしてケーブルニュースに取り上げられたこと。


Odeo社から独立したツイッター社のCEOには@Jackがなった。ブレイクしていった時期にね。みんなまだツイッターってどんなものかわかってなかったけど、名前はすこしは知られるようになってきていた。それからツイッターにパーマ・リンクとRSSフィードの機能が追加された。@BlaineはIM(インスタント・メッセンジャー)からも投稿できるようにがんばったね。機能が増えるたびにユーザーの使い勝手はどんどんよくなってったよ。ソーシャル・ネットワーク大手からみればまだ小さい規模だけど、ツイッターはツイッターならではの”すぐ”できるそしてエキサイティングなユーザー体験を提供してきたと思う。

もっとたくさんのユーザーにとってインパクトのある出来事はAPIの公開だったんだけど、それはまた別の機会にね!

(了)

訳者コメント
ツイッターなりの”井戸”がどうやって掘り進められていったのかがよくわかります。
成功もしくは生き残ったサービスを見ていると初期の段階で100人前後のモニターに”もまれている”気がします。
この段階を経るメリットは、ウケる要素が強化されるのではなく、ウケない要素があぶりだされて対策が取れることかなと思います。

少しまえ、”集合知”というキーワードがはやりましたね。”みんなの意見は案外正しい”に代表される集団の判断力の方が個人のそれを上回るというものです。

ですがひょんなことからあるデータを分析してみたところ選択肢が増えれば増えるほど集合知による正解率も20%程度と低いものになってしまうことがわかっています。あるサービスがどれだけヒットするか?ということを精確に見極めるのは至難の作業といっていいでしょう。

ただし、”ウケない要素”をあぶりだすには集合知はそうとう有効じゃないかなという気がします。100人があきらかにダメだしをしたものが1000人の規模になって肯定されるというのはなかなか想定しづらいですからね。

逆の場合はどうでしょう。100人がウケるとおもっても1000人規模になるとやはりウケなかった。これはあり得ると思います。

ツイッターでいうと100人が”悪くはないけどどうなのこれ?”という感覚が規模拡大とともに”なるほどね、おもしろいよ”に変わっていった。これなんかも初期の段階で現在の人気ぶりを先読みすることがいかに難しいのかを語ってくれている気がします。

だから初期の段階ではどれだけ”ウケない”要素に気づき取り除いていくかどうかに注力したほうがいいのかもしれませんね。(Hiro.Senaga)